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阪神高速 ショートストーリー

第5話 世界銀行借款で2500万ドルを調達

高度経済成長を支えた交通インフラ整備

世界銀行借款の調印式
(右端が栗本理事長)

 阪神高速3号神戸線のうち月見山~岩屋間の延長12.5㎞については、総建設費267億円のうち90億円(当時のレートで2500万ドル)を世界銀行からの借款でまかなった。
 昭和27(1952)年に世界銀行に加盟した我が国は、翌28(1953)年以降、戦後復興のために多額の資金を借り入れてきた。当初は、電源開発・鉄鋼・造船・自動車などの基幹産業の育成にこの資金が充てられたが、昭和35(1960)年頃からは高度経済成長を支える交通インフラの整備事業に主に充てられた。名神高速道路、東海道新幹線、東名高速道路などの建設に相次いで世銀借款が活用され、阪神高速道路公団でも昭和38(1963)年頃から大蔵省(現・財務省)との間で話し合いが持たれ、計画が立案された。
 昭和40(1965)年7月に計画部長が計画説明のために渡米。次いで、借款交渉団として8月14日、建設省(現・国土交通省)及び公団の理事、経理部長、資金課副参事などがワシントンD.C.に入った。

神明道路の整備を条件に調印

月見山から第二神明道路方面を望む

 借款の交渉は、当該区間の道路計画の説明から始まった。世銀借款はプロジェクト単位で融資を行うため、融資対象区間における道路建設の必要性や整備効果などの具体的な説明が求められたからである。そして、ここで、とんでもない難題にぶつかった。世界銀行の技術専門員から当該道路周辺の交通の流れを図示するよう指示があり、作成した図を見せると、「月見山を下りた車は、一般道路では一体どうなるのか。その先の道路も整備しないと、すべての車はNose to Nose(鼻と鼻を突き合わせる)になってしまうでしょう」と、一笑に付されてしまったのだ。しかし、一般道路の整備を公団が約束できるわけがない。融資交渉に入る前段階で、暗礁に乗り上げてしまった。
 交渉団一行は、ワシントンD.C.の日本大使館に相談。交渉の行き詰まりを打破するために、大使館公使・一等書記官同席のもとパーティーを催し、世界銀行関係者との懇談・再交渉の場を設けた。そして数日後、交渉団と建設省都市局及び道路局との間で再三にわたり国際電話のやり取りがあり、ついに建設省が在ワシントンD.C.の監理官を通じて、将来、月見山の先に神明道路を建設することを約束したので、これにより借款の条件が満たされることになったのである。
 昭和40(1965)年9月、栗本理事長と世界銀行総裁の間で正式調印がなされ、明治工区、湊川工区、ならびに脇浜岩屋工区で、世銀借款による工事が着手された。

(2014.4.25掲載)

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