第6話 オレンジカラーのハイウェイ
高速道路のイメージづくりに貢献
都市内高速道路の照明にナトリウム灯を本格的に使用したのは、阪神高速が最初である。ナトリウム灯は煤煙や霧の中での光の透過率に優れ、ランプの効率も良いことが知られていたが、昭和39(1964)年頃は、まだ名神高速道路のトンネルや1~2ヵ所の橋梁に使われているだけだった。それを、都市内高速道路に本格的に導入したのだ。もちろん、採用するにあたっては、事前に慎重な実験と調査・検討を重ねていた。しかし、先行する実施例がないために、①黄色い光の連続列が運転者からどのように評価されるか、②高速道路の沿道にどんな影響を与えるか、といった点については実際に使用してみないことには分からなかった。そこで、昭和39(1964)年6月に土佐堀~湊町間が開通したあと、直ちにアンケート調査を実施したのである。結果が分かるまでは不安だった。不評だったら、と苦悩する日々が続いた。しかし、結果は予想以上に好評で、継続使用する自信を得ることができたのであった。
青江三奈さん「霧のハイウェー」のレコードジャケット
(写真提供)ビクターエンタテインメント
昭和43(1968)年、当時はまだデビュー2年目だった歌手の青江三奈さんが「霧のハイウェー」という曲を歌った。阪神高速神戸線がテーマになっていて、「芦屋六甲 風さえ甘い、オレンジカラーの光を切って、恋のドライブ・・・」という歌詞が、夜の高速道路のロマンチックで都会的な光景を想起させ、高速道路のイメージを大いに高めてくれた。なお、このナトリウム灯で、ひとつの灯具の中に大小2個のランプを入れて明るさを3段階に切り替えるという方式も、当時としては全く新しい構造であり、公団独自のものだった。
動物の安眠に配慮して照明を移設
天王寺出口付近の工事
天王寺動物園のすぐ横を阪神高速が走ることになった時に、道路照明が動物たちに与える影響が問題になった。昭和44(1969)年5月の新聞に「人の安全か それとも 動物の安眠か」といった旨の見出しが掲げられたのだ。
動物園側によると、昭和31(1956)年に通天閣が完成した際に「ネオンや照明によって、光に敏感なゴリラなどの類人猿が下痢を起こしたり、アシカが3キロ痩せるなど、多くの動物が神経系統の病気にかかった」という。したがって、「高速道路照明でも同様な事態が発生する危惧があるので、検討して対策を立ててほしい」と公団に申し入れがあった。
これを受けて、公団では、動物園の飼育担当者と一緒に動物の生態と照度の関係について調査をし、入念な打ち合わせを重ねた。その結果、最も影響が強いと思われる天王寺出口の水銀灯は反対側の高欄上に移して、さらに遮光用の覆い(ルーバ)も取り付ける、また本線上のナトリウム灯にも遮光板を取り付けることで解決した。
(2014.5.2掲載)