第8話 市街地改造計画を取り込んだ先駆的事業
都市高速道路の未来像を示す
工事中の13号東大阪線と船場センタービル
13号東大阪線は、大阪都心を東西に横断する大動脈である。この路線のうち、西横堀~法円坂の区間1.6kmが万国博関連道路として計画・建設され、昭和45(1970)年3月8日に完成供用された。
この区間の西半分には、都市再開発計画の一環として船場センタービルを造り、その屋上に高速道路と大阪市の高架街路を併設している。ビルの上に高速道路を走らせたことは、将来の都市高速道路に新たな方向付けを示すものとして国際的にも注目を集めた。都心の抜本的な市街地改造につながるものであり、また土地の高度立体利用という面でも画期的として高く評価されたのである。
関西の活力が実現させた大事業
現在の13号東大阪線と船場センタービル
大阪市は、この地域で大規模な市街地改造計画を進めており、すでに船場地区以外は区画整理により幅員80mの都市計画道路(築港深江線)が出来上がっていた。だが、残る船場地区には老舗の商店や問屋が集まっていて、多くの店は船場・丼池という立地から離れては商売が成り立たない。また、広い道路で分断されると問屋街としての機能も損なわれるということで、用地買収は難航していた。
そこで浮上したのが、公団の高速道路と築港深江線の連続立体の案だ。2~4階建てのビルをまず建てて、その上に道路を走らせる。立ち退きに係る商店や事業所は、このビルに収容することで船場・丼池の繁栄も図ることができるという結論に至ったのであった。
この案が出るまでの裏話がある。
船場地区は、都心の土地だけに、1.2kmの道路を造るのに当時の金額で360億円は掛かると言われ、ここに道路を通すのは無理だと思われていた。当時の河野一郎建設大臣でさえ、「360億あれば、地方の一県すべての計画道路ができてしまう」と言って閣議の了承がとれなかった。そこで、大阪市発展のためにはどうしても、と大阪市長はじめ関西財界人が河野大臣との会合を設けたところ、席上、大臣のほうから「それなら、どうすれば安く造れるか今月中に全員それぞれ1案ずつ提出してほしい」ということになった。出てきた案は、地下トンネル案、ビルの中を通す案などさまざまだったが、その中でビル屋上に道路を置く案が最も経済的だということになった。
10棟からなる船場センタービル群は地下2階・地上2~4階で、幅80mの道路の中央部に幅42mで建てられた。ビル外側を走る平面街路は、南北各4車線の計8車線。ビル屋上部は、阪神高速道路と市の高架街路がそれぞれ6車線ずつ建設された。さらに、ビルの地下部分には大阪市の地下鉄が計画されていたことから、この区間は高速道路建設事業と市街地改造事業と地下鉄建設工事の3つの工事が同時進行するという、他に例を見ない大規模な総合改造工事となった。
(2014.5.16掲載)