第7話 万国博覧会の成功へ、供用延長を一挙4倍
万国博覧会の開催と関連道路事業
建設中の11号池田線豊中IC付近
昭和41(1966)年5月、日本万国博覧会の開催が正式に決定した。テーマは「人類の進歩と調和」、会場は、吹田市千里丘陵330万m2。会期は、昭和45(1970)年3月15日から9月13日までの183日間。
巨大な事業である。開催当日までに整備すべき関連公共事業について、計上された事業費の総額は6500億円に上った。そして、このうち道路関係の事業費が全事業費の51.4%(3342億円)を占めていた。この事業費で建設・整備されるべき道路には、新御堂筋や大阪中央環状線などの一般国道、府道、街路のほか、日本道路公団の神戸明石道路、阪奈道路、中国道、近畿道など、そして阪神高速道路があった。
阪神高速道路で緊急整備が必要と認められたのは、大阪池田線・大阪守口線・大阪東大阪線・大阪堺線・森小路線・西大阪線・神戸西宮線の7路線で、一気に首都高速道路を上回る延長79.4㎞の供用を図るという計画になっていた。投入される事業費は、道路関係全事業費の約3分の1にあたる1164億円が割り当てられた。工事は昭和42(1967)年度から3年間にわたって、急ピッチで進められた。
万国博関連事業としての道路整備事業は、昭和45年3月15日の開会日までに完成させなければならない。官民一体の協力態勢によって昼夜を分かたぬ工事が続けられ、その結果、大阪守口線(現・12号守口線)などで一部未完成の区間が残ったものの、ほぼ予定に近い形で整備を終えることができた。
道路事業の成果と万国博覧会の成功
12号守口線開通式典のようす
(昭和43年)
昭和42~45年度で、最終的には総額3725億円の巨費が集中投下され、大きな成果が挙げられた。道路整備は量的に見て、この期間の自動車交通の伸びを上回ったのである。
整備成果をみると、大阪周辺の道路は昭和42年3月から同45年3月までのわずか3年間に道路延長が1.22倍になった。うち一般道路は1.15倍、有料道路は2.76倍で、阪神高速道路は4.36倍と急伸長した。また、交通容量では、道路全体で3年前の1.55倍。うち一般道路は1.44倍、有料道路で2.94倍。そして、阪神高速道路は5.4倍という抜群の伸びを示した。阪神地区の交通流態は、万国博を機に見違えるように改善された。
博覧会の入場者数は当初予想の2倍以上、6421万8770人を記録。参加国数、入場者数ともに、それまでの万国博覧会史上最高のものとなった。この大成功の一翼を担った、観客輸送の功績は大きい。道路整備事業は目的どおり、関連事業の3分の1の分担を達成し、会場への円滑な車両通行に大きく寄与し、そして、それ以上に阪神地区の交通処理への貢献という点で、むしろ博覧会後への遺産として大きな意味を持つものとなった。
これを契機にして、阪神都市圏の本格的な都市高速道路時代が幕を開けたのである。
(2014.5.9掲載)