11号池田線の中之島付近の区間は当時すでにビルが林立しておりその谷間を縫うように走る区間の為、その線形の決定には慎重な検討が繰り返されました。その結果、大同生命(現:大同生命 大阪本社ビル)と住友本社(現:三井住友銀行 大阪本店)の間を通り、土佐堀川から朝日新聞社ビル(現:中之島フェスティバルタワー・ウエスト)を貫通して、堂島川へ出るS字のコースが選ばれたのです。このビルを貫通させる計画は都市空間の有効活用という観点からも新しい試みとして当時の世間の注目を集めました。
こうして肥後橋を渡る延長192.8メートルの3径間連続鋼床版曲線箱桁、通称中之島S字橋が誕生したのです。
都市部での高速道路建設においては通常の条件とは異なる様々な制約が加わります。
こういった諸問題に対するベストアンサーとして当時世界でもまれにみるS字橋の採用が決定しました。
S字形状の高速道路の上を車が走る際のどこにどう力が加わるかなどの検証には、非常に多くの要因を加味して複雑な計算が必要でしたが、当時はまだコンピューターが一般化しておらず、手動の計算機で行いました。また、建設の際は、「薄肉連続曲線桁橋の立体的解析」で著名な小松定夫 大阪市立大学助教授(当時)を中心とした実験チームが編成され、実物の20分の1という非常に大きな模型を用いた静荷重試験や動荷重試験などの成果を踏まえて工事に取り掛かかりました。