メッセージ In Memory of the Earthquake Disaster

~復旧に従事した社員の願い~

忘れないために
伝え続けるために
そして、勇気と希望を失わないために

1995年1月17日午前5時46分。

この日、兵庫県南部を襲った大地震は、多くのかけがえのない命を奪い、いくら年月が経とうとも消し去ることのできない傷跡を人々の心に残しました。

マグニチュード7.3の都市直下型の地震。
阪神高速道路も想像をはるかに超える被害を被り、血の気の引くような思いの中で、私達は連日、人命救助、緊急対応、復旧工事を続けました。

地震に負けない構造物をつくっているという自負があったのに。
人々の安心と安全を守っているという誇りが支えだったのに。
叫び出したくなる思いを、誰も口にはしませんでした。

そして嵐のような時間が過ぎ去った後、私達は被災した構造物を後世のために保管し、展示することを決めました。
それが自分達にできる最大の社会貢献であり、未曽有の天災に直面した者の責任でもあると考えたからです。

「震災資料保管庫」では、被災した構造物を中心に、2次災害防止のための応急補強や撤去のために使われた工法、全線復旧までの623日間の記録、地震を教訓に新しく開発された様々な耐震、免震、制震技術などを展示・紹介しています。
また、この施設を拠点に、災害支援や防災教育にも積極的に取り組んでいます。
6、700年に1度あるかどうかという確率で起こった今回の地震。その貴重なデータを国内や海外で広く役立て、被害を軽減してほしいというのが、私達の切なる願いです。

あの日、自然の猛威の前になすすべを知らなかった私達。
人間がいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされた私達は、今、自然に打ち勝つのではなく、上手に負けるための技術を工夫し始めました。
人間は時に愚かで弱い存在ではありますが、どのような逆境においても希望を失わず、工夫し続ける生き物であることもまた真実だと思います。
この「震災資料保管庫」が、人類の勇気と叡智を象徴する存在となれることを願って―。これからもより一層精進してまいります。

神戸線復旧建設部工事課長(復旧時)
幸 和範