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時代の先駆けとしての交通管制への取り組み

交通渋滞を緩和し、ドライバーが高速道路を快適かつ安全に走行することができるようコントロールするシステム、それが交通管制システムである。阪神高速では、営業開始から早くも3年後の昭和42、43年度に交通管制システムに関する研究を行い、昭和44(1969)年度に導入した。
平成2(1990)年度には、大幅にリニューアルされた交通管制システムが導入され、さらに平成15(2003)年度にさらなる整備拡張が行われてスタートした。
初代から現在に至るまでずっと、阪神高速の交通管制システムは独創性とレベルの高さを評価され、業界のトップランナーであり続けた。土木学会、米国経営科学会などからの数々の受賞歴が、その優秀さを物語っている。
いったいどこがどのように独創的なのか、そしてなぜ高い評価を得ることができたのか。そのヒントを探るため、情報システム部システム技術課の隈元清文と吉村敏志の2人に話を聞いた。

ずいぶん早くから取り組みがなされてきたのですね?
隈元

そうですね。昭和40年代の初めですから、まだコンピュータもあまり普及していない時代ですよね。
当時の阪神高速の利用台数は1日5千台程度。約90万台の現在とは比較にならない少なさでした。
なぜ交通管制が必要なのかと思われるかもしれませんが、私がOBから聞いた話では、交通量の増加が目立つようになり、昭和45(1970)年に開かれた大阪万博が一つの理由のようです。各地から高速道路を使って大阪にやってくる来場者が増えるだろうということで、混雑を見越して、早くから研究が進められたということのようです。

写真:隈元 清文

隈元 清文

写真:吉村 敏志

吉村 敏志

吉村

私達はその頃のことをリアルタイムで知っているわけではありませんが、当時の阪神高速道路公団から初めての留学生が、交通管制システムを学ぶため米国に派遣されたそうです。
ところが米国のシステムも先駆的に導入されたものの開発途上だったようで、お手本にしたのはごく初期の頃だけで、その後はほとんど独自に研究開発を進めてきたと聞いています。
昭和42年には交通管制委員会、53年には渋滞対策委員会が発足し、大学の先生方や阪神高速の社員などが協力して、苦労しながらここまでの歴史を積み上げてきているんです。

隈元

面白い話がありましてね。いまや世界的な共通語となっている、ITS(高度道路交通システム)という用語を提唱したのは日本人なんです。横浜で開催された世界会議がきっかけだと言われています。*1
ITSというのは、「最先端の情報通信技術を用いて人と道路と車両とを情報でネットワークすることにより、交通事故、渋滞などといった道路交通問題の解決を目的に構築する新しい交通システム」なのですが*2、日本は、産官学民協力のもとに国家プロジェクトとして推進されており、世界的にみても先進的なITSとなっているんですね。*1

  • *1 特定非営利活動法人 ITS JAPAN 「ITS年次レポート 2010年度版 日本のITS」より
  • *2 国土交通省道路局ITS WEBサイトより
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